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コラム : Gansインタビュー第7回〜白尾秀人
投稿日時: 2007-5-21 23:26:47 (19366 ヒット)
コラム

白尾選手のバナー

Gansインタビュー第7回
白尾秀人〜松本の島人(しまんちゅ)〜



「ちゃーす!」松本の島人(しまんちゅ)がASP事務局にやってきた。第7回GANSインタビュー開始です。

* サッカーを始めたキッカケは?
与論島では、サッカー、野球、剣道くらいしかクラブがなく、兄がサッカーをしていた事もあり、双子の弟と一緒にサッカー部にはいりました。

白尾選手の写真3
* どんな少年でしたか?
生まれが与論島(鹿児島県)なので、一言で言えば「島人(しまんちゅ)! !」ですね。子供の頃からサッカー一筋というわけではなく、釣りをしたり、秘密基地を作ったり、とにかく外で遊ぶことが大好きでした。島は何もないので仕方ないですけどね。今でも釣りは大好きですね、しかも一人が。僕ってこう見えて結構一人が好きなんですよ(笑)。

* 小さいころの夢は?
「ケーキ屋さん」。
自分で「ティラミス」を作って食べてましたから(笑)。本当に今でも甘いものが大好きでサッカー選手として困っています。ただ今でもその夢は捨ててないですよ!(笑)。だからサッカー選手という夢は全くありませんでした。

* 中学生時代は?
与論中学校では、現ガンバ大阪の遠藤保仁選手と試合をした時に「こんなにサッカーがうまい人がいるんだ。」とショックを受けました。パス、ドリブル、シュート全てがうますぎて、自分とは別世界だと思いサッカ?はひとまず置いて、吹奏楽部に入りました(笑)。サッカー以外にもいろいろな事を挑戦したいって気持ちもありましたし、一つ一つの楽器を弾けるようになっていく喜びを感じて、結構吹奏楽にはまってましたね。
だから僕って結構いろいろな事できるんですよ、って僕は出来る子アピールしちゃってますね(笑)。

* 高校から本格的にサッカーを?
はい。あっでも陸上も少し(笑)。与論高校2年の時、県の選抜に選ばれて海外遠征に行って、たまたま大会得点王になったんですよ! それが今でも忘れる事ができませんね。ある意味初めての経験でしたから。その時「サッカーを本格的にしたい。島を出て本格的にサッカーをしたい。」と、熱い思いが湧いてきました。それでたまたま親の都合もあり、国見高校(長崎県)へ編入しました。それが高校3年の時です。

* 名門 国見高校はどうでしたか?
一言で言うと「ツライ」ですね(笑)。6キロ走ってから練習が始まるし、とにかくサッカー漬けの毎日であり、毎日が戦いの場でした。ただ、サッカーだけではなく、人間としてのあり方、生き方を学びましたね。ある時こんな事がありました。夕方のミーティングで「朝練の時もっと気合を入れろ」と言ってました。見てもないのになぁ?と思ってましたが、ある日、通常朝6時からの練習だけど自分は朝5時から練習をしていると、小嶺先生が窓の端っこから覗いている姿を発見してびっくりしました。「誰よりも一番早くにグラウンドに来て、誰よりも一番遅く帰る」そういう小嶺先生の生き方が僕の恩師の姿ですね。
今でも自分の支えになっている先生の一言があります。「一番大事な時にシュートを決める選手、最後に必ず結果を残す選手は必ず私生活でも裏、表のない生き方をしている。」
この国見での一年間が僕の大きな成長でした。又人生の分岐点でもありました。本当にあの一年がなかったら今の自分はないですね。サッカー選手というのが目標でなく、現実的になりましたから! 実際に国士舘大学でユニバーシアード代表になり「世界一」になったし、ヴァンフォーレ甲府にも行きましたしね。この国見での一年は本当にかけがえのない日々でした。


* ヴァンフォーレ甲府について
一年目でいきなり試合にでましたね。ただそのあと右肩のケガから、左肩、膝の手術をしてからはひたすらケガとの戦いでした。本当に辛かったですね。やっぱり「選手は試合に出てなんぼ」ですからね。満足いくサッカーが出来ない日々でした。
ただ当時プレーしていた元日本代表の小倉隆史さんとの出会いで「FWは自分の形をつくれ」と教えて頂き、「ストライカーとしての自覚」を学べたことはすごく自分のプラスになりました!

* 松本山雅に来た理由
ヒロさんから「松本山雅で戦おう」と誘われました。
正直悩みましたね。ケガもありましたし、引退も考えてましたから。
ただ地元に戻って甘えたくなかったし、もう一度一人の選手として「0からのスタートで自分ができるか勝負したい!」と思い、その勝負をできるのが「山雅」だと思いました。

白尾選手の写真1
* 今の本音は?
選手はまず試合に出る事が全てです。だから正直今は辛い。本当に辛い。結果が出ないもどかしさと戦っています。ただ、今だから言えますが、昨シーズン終了後Vファーレン長崎にレンタル移籍しましたが、もしJFLに上がったら完全移籍も考えていました。だけど山雅のサポーター、選手、スタッフの顔が浮かんで来たんです。「ああ自分は山雅が好きだ!」そのことが頭から離れませんでしたね。そして「自分はまだ山雅に対してやり残した事がある」そう思い松本に戻ってきました。
でも今シーズンはなかなか試合に出れていません。新しい選手も加わりライバルも多いですし、日々戦いです。自分のイメージしているプレー、周りとうまくプレーできないもどかしさ。そんな時ある事を思い出した。それはユニバーシアード代表の時、ケガで出れない時も試合に出た時も、あの時は監督、選手、スタッフ全てが「一つ」でした。その結果「世界一」を成し遂げた、あの時のあの気持ち。それがこの山雅でもできるはずだ! 一つになってもっと戦えるはずだ! だからこそ試合に出て結果を残して戦いたい。今そう思ってがんばっています。選手として試合に出る事が全てだから。

* サポーターに一言
自分が生きてきた人生の中でここまで「信じられる仲間」がたくさんいる事は自分の誇りです。『マジで』山雅で試合できる喜びを感じてます。たとえ試合に出てない時でもコールしてくださる。それがどれだけの力と励ましを貰ってるか。
「何がいいか分からないんだけどなんか良いんです」大好きです!
とにかく「ありがとう」そして「こんな自分ですが応援よろしくお願い致します!」



背番号10 白尾選手と話して


昨シーズンのチーム得点王、白尾秀人は今苦しい状況が続いている。
正直、今この時期に白尾にGANSインタビューするのはどうかと思った。
ところが、実際の白尾はありのままに全てを、今の本音を語ってくれた。ストレスで出来た「蕁麻疹」「白髪」。「これ見て見て、ほら? やばくないですか?」。私はびっくりした。自分が持つ白尾選手の今までのイメージは「イケ面」「チャラ男」。失礼であるがそう思っていた。しかしここまでに無邪気で、純粋で、ありのままの人間だということを初めて知った。
山雅の中で「世界一」を経験している選手はおそらく白尾だけだろう。
そんな選手が「自分がくやしい」としきりにインタビューで言っていた時のあの表情を私は忘れられない。
まだ山雅にやり残した事がある。だから松本に帰ってきた二年目のシーズン。
「二年目のジンクス」を乗り越えて必ず「やり残した事」を達成してくれるであろう!そして必ず「結果」を残してくれるであろう、白尾 秀人は戦っている!
早く今シーズンが終わった時の【松本の島人】の笑顔が見たい!
私はそう思った。

(文責:成田偉作)

白尾選手の写真2
白尾 秀人(SHIRAO HIDEHITO)
鹿児島県与論島出身 1980年9月30日生まれ 26歳
FW 背番号10 175cm/72kg A型 右利き
与論高→国見高→国士舘→ヴァンフォーレ甲府→松本山雅→Vファーレン長崎→松本山雅



         

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