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コラム : 寺尾和也コーチによるレスリングコラム(第1回)
投稿日時: 2006-12-29 9:37:02
コラム

月に2回、松本山雅FCユースアカデミーでレスリング教室を行っている寺尾和也コーチが、よりレスリングについて知ってもらいたいとコラムをスタートすることになりました。
不定期ではありますが、ホームページのご覧のみなさんに少しでもレスリングの魅力を感じていただければと思います。




<第1回> 私とレスリング


1.出会い

 佐久市の北佐久農業高校に入学し、野球をする予定でした。しかし、現在の親友との出会いが私とレスリングとの出会いでした。
 ある日親友が廊下でボーっとしていた私に「レスリング部を見に行かない?」と声をかけてきました。レスリング=プロレスのイメージがあった私は見学だけならと思い二つ返事で一緒に道場へ行きました。道場では柔道、剣道、レスリング部が活動していました。しかし、イメージとは大きくかけ離れた優しそうな先輩たちが練習をしていました。その時はまだ見学だけだったのですが、後に大変なことが起きたのです。
 ある日、下校をしようとした私の目の前に腕組みをして仁王立ちしている先生がいたのです。その人が私の恩師になってくれた先生でした。「さようなら」と言って帰ろうとした私に「ふざけるなー!!」と言ってきたのです。何で怒られているのかわかりませんでした。「運動着を着て体育館履きを持って道場に行けぇ?!!!」と言うのです。訳がわからないまま言う通りにしました。それから私のレスリングストーリーが始まったのです。ちなみに私の恩師は2度もオリンピック最終選考に残った先生です。



寺尾和也氏 プロフィール
生年月日  1972年8月9日
出身地   長野県小諸市
身長/体重 157cm/62kg
利き手   右(左構えも練習中)
血液型   B型
経歴    北佐久農業高校→華調理師専門学校→民間会社→北佐久農業高校職員→長野県レスリング協会
アピールポイント 松本地域で全国チャンピオンを排出したいです。
個人タイトル  平成2年  インターハイ出場(団体戦50kg級)
          平成10年 広島国体出場(フリースタイル52kg級)
現在、県内外の中高女子選手を中心に強化練習や強化合宿に参加しています。
山雅では月2回ユースアカデミーで基礎体力を中心に練習をしています。
出来ればチームを作って全国大会などに参加したいです。

コラム : Gansインタビュー第6回〜土橋宏由樹
投稿日時: 2006-9-30 9:14:58
コラム

土橋選手のバナー

Gansインタビュー第6回
土橋宏由樹〜松本の王様『ドッティ』〜



松本の王様『ドッティ』がASP事務局にやってきた。第6回ガンズインタビュー開始です。

――サッカーをはじめたキッカケは?
小学1年生の時、3年生の兄の試合を見に行って、選手、監督と昼食を食べていたら、監督が「俺と飯を食べたらサッカー部に入らないとダメだぞ」と言われ、その場でユニホームを着て、もう試合に出てました。(笑)

――どんな少年でしたか?
当時から今に至るまでガキ大将(笑)とにかくサッカー小僧で兄といつもボールをけってました。

――小さい頃の将来の夢は?
幼稚園の卒園アルバムに「サッカー選手」と書いてあったが、当時は野球好きでジャイアンツでプレーするのが夢だった。自分がプロサッカー選手になって卒園アルバムを見て
びっくりした。(笑)

――中学生時代は?
部活とクラブチームの掛け持ちでサッカー漬けの毎日でしたけど、この3年間が今の自分のサッカー選手としての支えになっている。部活は監督から「すべておまえがやれ」と言われ、キャプテンと監督の仕事をやりました。県でトップのチームだったから個性的な選手が多くまとめるのも大変だったし、練習メニューも考えながらやっていたので苦労の毎日でした。部活とは違いクラブチームは現セレッソ監督塚田先生との出会いがサッカー観を変えました。テクニック、戦術、サッカーに必要なすべてを教えてもらえた。とにかく小、中はサッカーが本当に楽しくてたまらない毎日を送っていました。

――高校時代は?
サッカーが楽しい毎日であったはずが、どの時でも兄との比較で悩んでいる時期でもあり、兄と別の高校に進学を決意しました。高校3年の時、ブラジル遠征に行って、帰ってきたら病気になり入院。最後の年は、ほぼ棒にふりました。冬の選手権には出場しつつも決勝で負け、高校生活は終わってしまいました・・・。入院中も引退した後も、ただただ「サッカーがしたい」この思いはデカくなるばかりでした。

――海外留学としてドイツを選んだ理由は?
当時、僕らの年代は「ブラジル」がすべてみたいな感じでしたが、足元の技術には多少自信があったので(笑)自分はヨーロッパを選び、そして、ドイツを選びました。18歳で海外留学は正直辛かった。最初は見るものすべてがはじめてで、新鮮ではありましたが、3ヶ月ぐらいするとホームシックになり、辛かった。サッカーに関しても強豪ブレーメンで、日本人は相手にもしてくれなかった。よくカズさんが言っていた「日本人=サッカー下手」は高校時代にはそんな事はないと思ってましたが、現実は予想もしない程だった。当時のチームメイトには現ドイツ代表のボロウスキーや有名な選手もいてパスもこないし、ほとんど相手にもしてもらえなかった。しかし「サッカーがうまくなりたい」この気持ちだけが自分の支えであり、とにかく頑張った。次第に試合に出て得点をしていくうちにチームメイトから初めて評価を受け始めた。それから2年間ブレーメンでの生活を送ったがビザの関係でサッカーができない環境になり、悩んでいた時に、当時ヴァンフォーレ監督をしていた塚田先生からのオファーの話があった。Jリーグでサッカーをしたかった自分にとってはチャンスだと思いました。

――ヴァンフォーレ時代は?
J2開幕の年、兄弟で同じプロチームでサッカーをしました。しかしチームは3年連続最下位、26連敗を経験した。チーム解散になる可能性も出てきて、またドイツというサッカー環境が抜群のところとはあまりにもギャップがありました。そして自分は膝の手術で1年間棒にふった時もありました。でも選手みずからイベント、ポスター張り、ティッシュ配り、チームのために全力でなんでもやりましたね。一番身についたのは「忍耐力」ですね(笑)
でもそんな苦労からJ2最下位のチームがJ1昇格へと昇りつめた。

土橋選手の写真1――松本山雅に来た理由は?
プロ生活7年間純粋に「サッカーが楽しい」と思える時が正直なかった。そしてもう2度とサッカーを楽しむ事はないだろうと思っていた。あの子供時代のようにサッカーが・・・。サッカー選手として引退を考えました。しかしサッカーをしたくてもできない人、自分を応援してくれるファン、そして何よりも、自分が何をするにも何も言わず黙って見守ってくれた、そして一番応援してくれている両親。自分は多くの人たちの支えがあり、そしてなによりあの子供時代のサッカーが楽しくてしょうがなかったあの気持ち。もう一度「サッカーを楽しみたい」との思いがあり、いくつかのオファーの中から松本山雅を選びました。自分を一番必要としてくれていることを自分の心で感じとれたからこそ、ココで、このチームで『サッカーをしたい』と思いました。

――松本山雅に来てシーズンを振り返って?
本当にサッカーを純粋にサッカーを楽しむ事ができた。今まで自分が失っていた、なくしていた大切なものを取り戻せました。そしてスタッフ、サポーター、選手、松本すべてにおいて感謝の心で一杯です。とても魅力あるチーム。本当にすべてがファミリーですね。このファミリー観がなんとも言えずいいですね。

――サポーターに一言
チームがどんなに辛い時でも温かく応援してくれた。自分が退場になってもコールをかけてくれるサポーターに心うたれました。このチームでサッカーできた事に感謝であり、幸せであり、誇りです。このサポーターは外のどこに出しても全く恥ずかしくない。これはJ経験者が言ってるので信じてください(笑)自信をもってチームと共に進んでくれ!


土橋選手の写真2



背番号7 土橋宏由樹と話して。


天皇杯県予選の決勝戦、円陣を組んだ時、土橋は言った。
「このチームで戦うのはこれが最後じゃない。まだまだこのチームで俺は戦いたい」
天皇杯2回戦 VS 新日鉄大分。土橋は出場停止。おしくも敗戦。
その時、土橋は小学生以来の涙があふれた。
ヴァンフォーレ時代、J2最下位からJ1昇格へと昇りつめたこの経験は、おそらくJの選手でもいないであろう。その選手が涙を流した。
あの子供時代、サッカーが楽しくてしょうがなかったあの気持ちが、失っていたあの気持ちが涙としてあふれたのだろう。また土橋はこう言った。まさか自分がここまでチームに愛情が、感情が入っているとは思わなかった。だから退場になった時、本気で怒った。だから試合に負けた時、泣いた。一番自分が信じられないが、このチームが、松本山雅が大好きになった。

正直土橋のようにJを経験した選手は地域リーグで本気にはならないだろうと私は思っていた。しかし、これ程までに松本山雅を愛していたのかと知った時、私もなんだか泣きそうになった。

インタビューが終わり、最後にこう言い残して帰っていった。
「まあ俺が天皇杯2回戦出ていたら勝った!」
あ?やっぱり王様だと確認した。

(文責:成田偉作)

土橋選手の写真3
土橋 宏由樹(DOBASHI HIROYUKI)
山梨県甲府市出身 1977年11月27日生まれ 28歳
MF 背番号7 180cm/66kg O型 右利き
韮崎工業高→ヴェアダーブレーメン(ドイツ)→ヴァンフォーレ甲府→松本山雅FC(2006年-)





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Gansインタビュー三本菅選手
Gansインタビュー宮田選手
Gansインタビュー矢畑選手
Gansインタビュー中井選手
Gansインタビュー鏑木選手

コラム : Gansインタビュー第5回〜三本菅崇
投稿日時: 2006-5-1 16:12:50

Gansインタビュー 第5回
三本菅崇〜松本の暴れ馬〜



さわやかという言葉がふさわしい小春日和の4月某日、長いひげを蓄え、185cmはあろうかという強面の大男、第一印象に「さわやか」を挙げる人は少ないであろう三本菅崇選手がASP事務局にやってきた。
インタビューを控え、いくらか緊張していた私に、明るく気さくに話かけてくださった三本菅選手。
その生い立ちについての質問から「Gansインタビュー」その第5回が始まった。






「神奈川県の大船という所で生まれました。他の子よりかなり小さく、ほとんど泣かないおとなしい子だったみたいですよ。」

現在の容姿や性格からは予想できない答えに早くも驚かされる。

「サッカーを始めたのは小1のときです。仲の良かった友達の影響で。おかげさまで中2(※1)の時に全国大会、高1(※2)では選手権に出ることが出来ました。」

※1公立玉縄中学校 
※2私立向上高校

誰もが羨む経歴のようだが・・・

「選手権では1回戦で負けてしまったんですよ(相手は愛媛県代表の南宇和高校)。これは相当悔しかった。ちょうどこの頃Jリーグが出来たこともあって、プロというものを強く意識しました。」

本人の意識は更に上にあったようだ。

その後、浦和レッズ→水戸ホーリーホック→ヴァンフォーレ甲府→FCホリコシ(群馬県)と多くのチームを渡り歩いてきた三本菅選手に、松本山雅に入団する経緯を伺った。

「知人の紹介で知りました。Jリーグを目指しているということで、話を聞く中でその熱意と可能性を感じ、入団を決意しました。」

全国の様々な街を知る三本菅選手に、松本という街の印象を語って頂いた。その第一声はまたしても意外なもので・・・

「一方通行が多いんですよ、毎日道に迷っています。(笑)ごめんなさい。ほんとのところまだ松本城くらいしか知らないんです。素敵なデートスポットでもあれば、皆さん是非とも教えて下さい(笑)」

三本菅選手の軽妙なトークで明るい雰囲気のままインタビューは続く。このようにチームの中でも先頭に立って、盛り上げ役になっているのでしょうか?

「ガンガン声を出して引っ張っていくタイプではないかもしれません。ただサッカーに対する姿勢や気持ちは誰にも負けない自信があります。」

最後に、これからの試合への意気込みと、サポーターについての印象を伺った。

「もちろん勝利を目指し全力を尽くします。出来れば得点したいですね。サポーターについては、今は確かに多いとは言えないかもしれません。でも、こういう時期から応援してくれる方々は本当に有り難いと思います。これから楽しいと思ってもらえるようなサッカーを見せ続けることでどんどん増えていくと信じています。松本といえば、国宝松本城か松本山雅か、と言われるくらい根付けばいいですね。」

あまり紹介出来なかったが、所々にジョークを交えながらのインタビューとなり、終始笑いの耐えないものだった。
ただ、そのジョークは単なる明るい性格から来るものだけでなく、自分のシャイな部分を隠そうとする時に使う道具なのではないかと感じた。
そんな三本菅選手だからチームやサポーターについて語る時など、時折見せるその真剣な瞳の奥に本当の意味で男の「さわやかさ」を見た。


文書作成 事務局 丸山


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Gansインタビュー宮田選手
Gansインタビュー矢畑選手
Gansインタビュー中井選手
Gansインタビュー鏑木選手

コラム : Gansインタビュー第4回〜宮田潤一
投稿日時: 2006-1-10 23:20:00
コラム

宮田選手の写真1

Gansインタビュー第4回
宮田潤一〜若きサイドアタッカー〜



松本山雅FCにとって、2005年は大きな変革の年となった。
その中にあって数少ない前年のメンバーで、コンスタントに出場していた若きサイドアタッカー。

大きな変革にあるチームのなかで、「松本」を感じさせてくれる地元選手。
2006年に成人式を迎えた、サイドハーフのインタビュー。





――入団のきっかけは?
入団のきっかけですか? ちょっと長くなりますけど、小学校・中学校のサッカー人生は(選抜などに選ばれ)うまくいっていたんですけど、高校3年生の頃、いまいちうまくいかず、つらい時期でした。インターハイを終えて高校のサッカー部を引退しバイトしたり、サッカーから離れた生活を送っていました。
そんな時に自分のサッカー人生に大きく影響を与えてくれた中学校の先生にお会いし、松本山雅FCを進めていただきました。入団のきっかけはそんなところです。

――今シーズンを振り返ってどんな感じでしたか?
今シーズンは、チームとして優勝できたことが非常に大きかったと思います。
チームの意識やサッカーに対して自分の過ごし方をどうするか? など、(入団した頃に比べて)大きくよい方向に変わったと思います。
個人的にはまだまだという感じでした・・・。(苦笑) 試合に出たり、出なかったりで、パフォーマンスにも波がありましたし。 けれど、チームメイトは自分よりもうまい人達ばかりなので、吸収しよう!! ついていこう!! という気持ちを持ってシーズンを高いモチベーションでいられたことは、来シーズンにも繋がるプラスの面だと思っています。

――今シーズン、宮田選手にとってのベストゲームは?
5月15日の第4節VSヴァリエンテ富山戦です。
あの時は体もキレも非常に良く、何本かサイドをえぐることができ、少しは要求されていたことが出来たかなあと言う試合でした。
それに、自分がイメージしていた動きが出来ていましたね。
あのときのような動きがこれからもコンタントに出来ればよいのですが…。(笑)
来期も頑張ります!!

――オフシーズンになりましたが、オフはどのような過ごし方をしますか?
自分は大学生なので、しっかり勉強したいと思います。
体のキレや状態を落としてはいけないので、時間を作ってランニングをしたり、ボールを蹴ったりしています。
そのほかには自分の時間を大切にしたいと思います。

――来期への豊富をお聞かせ下さい。
今シーズンより、いろんな意味で厳しいとは思いますが、しっかりと吸収してチャンスを広げていきたいと思います。
そしてもっとうまくなりたいです。

――最後に、必死になって応援してくれたサポーターへ一言!
サポーターの皆さんには本当に感謝しています!!
試合の途中から出場しても暖かく迎えてくれて、ありえないようなミスを何回しても常に応援してくれるところがとても好きです。
県外での試合にも自費で応援しに来ていただいてありがとうございました。
そんなサポーターの皆さんのためにも、来期JFL昇格を目標にして頑張ります。
来期もよろしくお願いいたします。

P・S 町中やその他どこでも僕を見かけたら声をかけてくださいね!



宮田選手の写真2

地元の大学に通うサイドアタッカーは、向上心に溢れている。
変革のチームの中にあって、自分を磨きプレーを高めようとしている。

地元選手のありあまる向上心も、松本山雅FCの推進力の一つである。

ASP事務局 中沢仁







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Gansインタビュー矢畑選手
Gansインタビュー中井選手
Gansインタビュー鏑木選手


コラム : Gansインタビュー第3回〜矢畑智裕
投稿日時: 2005-10-21 2:13:34
コラム

矢畑選手の写真1

Gansインタビュー第3回
矢畑智裕〜松本の不落砦〜



開幕当初から、常に課題であり、切望された守備の要としてチームに加入し、初出場となる日精樹脂戦、首位攻防戦となった富山新庄戦、そして、前節のヴァリエンテ富山戦と、この男の加入なしでは、勝利はなかったのでは?とも言えるほどの存在感と抜群の安定感でチームを最終ラインから支える「ガンズの砦」矢畑智裕選手の登場です。


選手がチームを移るとき、様々な思いがある。
出場機会を得たいと思う選手もいれば、
純粋にサッカーを楽しめればどこのチームでもいいという選手もいるかもしれない。

矢畑智裕は今、松本の地にいる。
再び日のあたるあの場所を目指すために…




――Jリーグでの思い出をお聞かせください。
「Jリーグでの思い出と言うよりもこれからそのような思い出が出来ればよいと思う」

――入団のきっかけは何でしたか?
「知人の紹介です。Jリーグ入りを目指しているということで!チームの熱意が伝わってきました」

――松本の印象は如何ですか?
「住みやすい町です」

――アルウィン(松本平広域公園総合球技場)の印象は?
「芝もきれいに手入れされていてJリーグで使っている芝に負けていませんね。本当は良い施設なのでもう少し使えたらいいと思います(笑)」

――チームの現在の雰囲気を教えてください。
「チームの雰囲気はとても良いです。試合に勝ってきている事によって皆の士気が上がってきていますね」

――矢畑選手のセールスポイントを教えてください。
「セールスポイントですかー?うーーん全部見てほしいですねぇー!僕が経験してきたものはすべて試合の中で出していきたいと思っています」

――では、矢畑選手自身の課題は何だと思いますか?
「全てです!!完璧にサッカーが出来るわけではないので」

――1部へ向けての決意を聞かせてください。
「残り1試合内容よりも結果を重視していきたいと思います。そして優勝!!」

――サポーターに望むことは何かありますか?
「もっとサポーターが増えてくれるといいですねぇ」

――最後にファン・サポーターへ一言。
「残り1試合必ず勝ちますので応援よろしくお願いいたします」



矢畑選手の写真2ディフェンスに安定感をもたらす実際のプレーのみならず、
彼の持つ“向上心”がチームに与えた影響は大きかった。

混戦で始まった上位リーグの中で、
「昇格」、「Jリーグ」という目標を持った精神力の強さが
チーム全体に行き渡らなければなければ3連勝はなかったかもしれない。

プレーだけでなく「強い気持ち」。
あと一試合、彼はそれをみんなに見せてくれるだろう。


ASP事務局 中沢仁







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Gansインタビュー中井選手
Gansインタビュー鏑木選手

コラム : Gansインタビュー第2回〜中井大悟
投稿日時: 2005-7-1 21:26:30
コラム

中井選手の写真1

Gansインタビュー第2回
中井大悟〜松本の新守護神〜



ゴール前に立ち塞がる「門番」にご登場いただく。
北信越リーグ第2節から出場し、レギュラーとして安定感たっぷりのプレーを見せているゴールキーパーの中井大悟。ご存知、ザスパ草津で背番号1をつけていた選手。県リーグから関東リーグ、そしてJFLまでの夢のような物語の一端を担った。

――「昇格」することの苦しみとそれに倍する喜びを、この選手は知っている。



――本日はよろしくお願い致します。最初に今までの経歴をお願い致します。
「名古屋グランパスユースで3年やって、東海リーグのチームで2年間。栃木県リーグのチームに移って、その後リエゾン草津から愛知FCを経て、ザスパ草津で4年間プレーしました」

――その中で特に思い出に残った年を教えて下さい。
「一番はザスパ草津で県リーグから関東リーグに昇格した年なんですけど、試合にも出られましたし、昇格した試合は非常に盛り上がって……そうだなあ、あの年が良かったですね」

――その頃は既にチームはJリーグ昇格を目指していたわけですね?
「そうですね。その初年度です」

――松本山雅入団の経緯をお聞かせ下さい。
「去年一年間イタリアにテストを受けに行っていまして、日本に帰って来てから、どこか上を目指しているチームはないのかなと思って、インターネットで色々調べたんです。無ければもう地元の愛知に帰って、そこでサッカーをやろうかなと思っていたんですけど、幾つかチームがありまして。まず松本山雅。そしてグルージャ盛岡。あとFC岐阜。この3つに絞って、自分でチームに電話をかけたりして……。で、松本山雅と盛岡の方に練習参加することになって、最終的には松本山雅に入団することを決めました」

――チームに入団されて2ヶ月ほど経ちますが、改めて決意のほどをお聞かせ下さい。
「リーグ戦最優先。北信越リーグ1部昇格。とにかくそれしかないですね」

――松本市は初めてですか? 市内の印象はどうでしょう。
「母親の実家が木曽福島なんです。親戚も結構この辺にいますし、赤ん坊の頃はこっちの方でも生活していたみたいなんですけど、記憶には無いですね。それからもちょくちょく松本には来ているので、実は知っているような街ですね」

――ではホームスタジアムのアルウィンの印象は?
「アルウィンは今年初めて見たんですけど、立派なスタジアムですよね。これだけはどこにも引けをとらないんじゃないですか。Jレベルのスタジアムが既にあるわけですから大きな強みですよね」

――ところで、5月7日の試合(アルウィンで開催されたJ2公式戦「ヴァンフォーレ甲府対ザスパ草津」)は観られましたか?
「はい、観ました。草津のサポーターにも良くしてもらいました。……なかなか勝てないですね。今年は厳しいかも知れないですが、やっぱり頑張って欲しいです」

――チームの現在の雰囲気はどうですか?
「勝った負けたはありますけど、全体のモチベーションは変わっていません。雰囲気は決して悪くないです」

――自分のセールスポイントは何ですか。
「クロスボールの処理と、一対一の出だしです」

――自分の課題点はどこですか。
「バックパスの処理です」

――尊敬もしくは応援する選手などはいますか?
「去年イタリアに行ったというのもありますが、あの国はキーパーの宝庫なんです。その中でも、最近代表に復帰したアンジェロ・ペルッツィ(ラツィオ)ですね。身長も同じくらいですし、彼のプレーは参考になります。目標です」

――いま一番サポーターに望むことは何ですか?
「温かく激しく応援してくれて非常にありがたいですが、不甲斐ないプレーに関してはもっと厳しく指摘して欲しいですね」

――最後になりますが、ファン・サポーターの皆さんに一言お願いします。
「とにかく昇格をして、皆と一緒に喜びたいと。それだけ願っています。是非とも最後までお付き合い下さい!」

――ありがとうございました。


中井選手の写真2周りは口を揃えて、彼のことをこう言う。――とにかく真面目な男だと。
しかし、インタビューを通して見えた素顔は予想以上にサービス精神旺盛で茶目っ気すら感じた。意外な松本との「縁」も伺えたし、何よりサッカーが心底好きだということが良く分かった。
「不甲斐ないプレーには厳しく」と言うが、こんな一面を見てしまっては、彼に対してブーイングなんて出来るのだろうか。。。

Text by Tasuku Taki







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Gansインタビュー


コラム : Gansインタビュー第1回〜鏑木享
投稿日時: 2005-6-10 17:56:37
コラム

鏑木選手の写真1

Gansインタビュー第1回
鏑木享〜松本に歌声は響く〜



開幕から得点力不足に苦しんでいた松本山雅に、待ちに待った「スーパーカブ」の復帰である。
昨年、北信越リーグ2部で大不振に喘いでいたチームを県リーグ降格から救った、鏑木享。復帰直後の試合(北信越リーグ2部第5節/富山新庄クラブ戦)では合流直後ながら、後半17分から出場して攻撃を活性化させ、先日の試合(天皇杯予選4回戦)ではフル出場し、2得点。コンディションも整いつつあり、「カブゴール」量産の気配を見せている。



――本日はよろしくお願い致します。チームへの「復帰」、サポーターの一人として心から歓迎いたします。まず、松本山雅入団の経緯をお聞かせ下さい。
「知り合いの人からの紹介です。フォワードを探しているチームがある、ということで、山雅に来ました」

――チームに復帰して、改めて決意のほどをお聞かせ下さい。
「やっぱり1部に上がるっていうことを、みんな目標にしているので、残りの試合を一試合一試合勝ちに行く、という感じですね」

――松本市と、ホームスタジアムのアルウィンの印象は?
「松本市内の方はまだ車がないので見ていないんですけど、すごく住みやすいのかな、と。スタジアムは、この間の試合(5月22日の北信越リーグ5節/富山新庄クラブ戦)が初めてでしたけど、すごくいいと思います」

――チームは昨年から大幅に変わりましたが、現在の雰囲気はどうですか?
「やっぱり去年からいるので、残っている人は知っているし、新しく入ってきた人たちともだいぶ打ち解けてきたかなと……チームの雰囲気はすごく良いですよ」

――自分のセールスポイントは何ですか。
「やっぱりフォワードなので、点を取るということと、後はスペースを見つけて、裏に飛び出す動きを見て欲しいですね」

――松本山雅では、昨年末から縦への突破よりもキープや散らしが目立ちますが、意識したプレーなのでしょうか?
「そうですね。やっぱり意識してやっています」

――自分の課題点はどこですか。
「やっぱり点を取ることが仕事ですから、決定力を上げたいし、もっともっと攻撃に絡んでいきたいと思っています」

――鏑木選手の応援歌を聞かれたと思いますけど、どうでしょうか?
「そうですね。一回聞きました。懐かしかったです。また歌ってください」

――ULTRAS MATSUMOTOの応援は、これまでのJクラブと比べてどんな印象でしょうか?
「東京や新潟に比べると、人数はまだこれからでしょうけど、まとまっていて頑張っているなっていうのが伝わってきます。その応援に応えるためにも頑張らなきゃなって気持ちになりますね」

――いま一番サポーターに望むことは何ですか?
「勝負事なので、勝ちか負けかって当然あって、負けることもあるとは思うんですけど、それを含めて温かく見守って、応援して欲しいと思います」

――最後になりますが、ファン・サポーターの皆さんに一言。
「一試合一試合皆で力を合わせて、一部昇格を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!」

――ありがとうございました。


鏑木選手の写真1「東京のカブ」から、「松本のカブ」へ。――所属する場所が変わっても、彼がサポーターに愛される存在であることには変わりがない。

「32は鏑木カブゴール、松本のスーパーカブゴール!」

サポーターの一人として、一回でも多くあの応援歌を歌わせてほしい。
そして願わくば、アルウィンを一杯に埋め尽くしたファンやサポーターの歌声で響き渡らんことを。

Text by Tasuku Taki



コラム : ユースアカデミー・茨城遠征リポート
投稿日時: 2005-3-25 15:39:10
コラム

3月19日(土)から21日(月)まで3日間にわたり、ジュニアチームの始めての県外遠征を実施しました。
この遠征は、ヴィヴァイオ船橋という千葉のクラブチームで全国でも有名なチーム(キッズからジュニアユースまである)が、多くのチームとの交流試合をとおして、サッカー少年の試合環境を提供しよう企画した交流会です。
会場は茨城県のひたちなか市の芝生グランドを利用し、東北や愛知県などから10チーム以上のチームが参加して行われた大会(交流会)です。
 試合は合計3日間で11試合行いました。
畑沢FC(千葉)エスペランサ磐木(福島)ヴィヴァイオ船橋(千葉)ハリマオFC(神奈川)エルフFC(茨城)FC米沢(山形)高崎トレセン(群馬)坂戸FC(埼玉)ドルフィン(愛知)(エスペランサとヴィヴァイアとは2試合)が対戦したチームです。
 結果は1勝9敗1分けでした。多くのチームが5年生主体の中、山雅は4年生も多く出場しました。結果は大きく負け越しでした。
スピードや体格など身体能力では負けてしまいましたが、試合内容は決して劣ることはなく、日頃の練習で大切にしている技術を正確に丁寧に発揮しようと頑張っていました。
 印象的な試合はホストチームでもある「ヴィヴァイオ船橋」との試合でした。
1日目に対戦したとき、身体の使い方のうまさ、ボールに対する執着心のすごさを目の当たりに感じ、6-0で負けましたが、子供たちの意識が変わってきました。その後の試合はそのことをぜひ身に着けて帰ろうということで、身体の使い方とボールへの寄せの速さ、簡単にボールを失わないことを全員で確認しながら試合を行っていきました。
3日目の最後に再びヴィヴァイオと対戦する機会があり、3日間の集大成として試合に臨みました。選手は積極的にボールにアプローチし、ほんのちょっと相手の身体からボールが離れると体を寄せて、プレーの自由を奪い、そのうちにもう1人が寄せてきて奪うという形で、五分五分のボール奪取を繰り返しました。
結果は1-1の引き分けで、全員のボールを奪う意識の高さ、ゴールに向かう意欲の高さがでた、今までで1番内容の良いゲームができました。この意識が今後も継続し、さらに高めていけば、今以上に質の高いチームになってくると思います。
 しかし、課題もあります。シュートチャンスできちんと決められない。敵がくるとプレッシャーを感じあわてて失ってしまう。ドリブルが優先の判断が多く、パスとドリブルの使い分けの判断が少ないなど、これからの練習で指導者としてもテーマで扱っていきたいことです。
 サッカーの試合以外の宿舎やバスの中での生活では、みんなでコミュニケーションがとれて、和気藹々と過ごせたようです。
1人1人に役割を設け、責任もってやる場面を作りました。また、できることは自分でやることで、自己管理能力も高めたいと考えました。
サッカーの試合の中でよいプレーをするためには、サッカー以外の場面での自己コントロールが大切です。
子供たちはサッカー以外の場面でも、よいものにしようと指導者側の自己管理の要求にもがんばる姿が見えました。
 今回、バスで5時間もかかる茨城まで初めての遠征を2泊3日で行いましたが、実りの多い遠征になりました。
ゴールデンエイジといわれる小学校4、5年生段階に県外の高いレベルの試合に触れることやサッカー以外でのコミュニケーションを経験すること、自分のことは自分でという自己管理について体験できたことは大変有意義であったと同時に、指導者サイドとしても大いに勉強になりました。
 遠征にご理解をいただき、気持ちよく出させていただいた保護者の皆様には感謝申し上げるとともに
今後もいろんな機会をつくり、子供たちの成長の為のサッカー環境の整備に努めて生きたいと思います。
 なお、選手たちはサッカーノートに少しずつ、試合の感想を書きました。今後も試合の機会に書いていければと考えています。
 文が整いませんが遠征の報告とさせていただきます。

 山雅ユースアカデミー  ジュニア担当遠征帯同コーチ一同(文責 勝沢 勝)

コラム : 〜永遠なるRed feather〜 第3章
投稿日時: 2004-12-13 19:10:00
コラム

〜夢の宝箱、アルウィン〜

ASPに長野県を、松本を代表するスポンサーが
ついた。『アルピコグループ』『井上百貨店』。
まだ、ビッグスポンサーが目白押しに控えている。
メディアの注目も日増しにアップしている。
ASP皆の本気度が理解されつつあると言う所だ。
Jリーグからもかなり注目され、エールも送られる。
夢が歩幅を広げて歩み始めている。
松本にはアルウィンがある。
子供からお年寄りまでいろんな世代が夢を描ける
夢の宝箱、アルウィン。
山雅のトップチームが常勝を始めるとき
山雅の子供達がトップの選手を慕い
大きな夢を描きながら日々サッカーに明け暮れる。
大人たちは、せちがらい世の中で沈みかけた心を
癒しにアルウィンへやってくる。

『お父さん、今週は山雅を見にアルウィンへ行こうよ』
『おおそうか、今週はお父さんもいいぞ』
『お母さんもお弁当持っていこうよ』
『そうね。たまには家族で行こうか』
『うん』

そんな家族団らんがアルウィンに生まれる。
必ず。
いつか必ず。

コラム : 〜永遠なるRed feather〜 第2章
投稿日時: 2004-12-3 19:10:00
コラム

〜鏑木亨〜
松本の地に暖かな風を残して
去っていった。
山雅SCに20日間いた伝説のプレーヤー
彼は元FC東京で17番をつけてプレーし
人気があったらしい
私はそんなことは知らなかった
しかし、彼と20日間のサッカーを通じた生活を
してみて、どうしてなのかわかったような気がする。
シャイで、言葉は少ないけど、本当にサッカーを
愛し続けるひたむきな男..。
多くのファンからいまだに愛される鏑木亨
サッカー界から姿を消すにはまだ早い。
「17はカブラギ カブゴール!!」
そんな懐かしいコールがアルウィンにこだまする
そして独特のヘアーでピッチを駆け巡る
そんな夢を最近見る..。
正夢だろうか

来週東京に行くからカブと久しぶりに飲もう。
彼と私の会話は酔うと漫才師のようだ。
今から楽しみだ..。

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